2007年01月02日

さすらいの銀次郎(16)

「やったなー」指導員が、やつをほめている。「ノルマ達成おめでとう!!」
「やっぱりな、あいつはいつもこのパターン。」心の中で呟きながら、席についた。

「おい、おまえはどうや。」
「400万までできました。」
「あと100万か、がんばっているな。どうせやらないといけないんだから、満額だしとくか?」(満額とは、ノルマ達成金額。)
どうしよう、あと100万とはいえ、もうネタがない。しかし、ここで引き下がったら、男がすたる。

「ぶるっ。」と身震いをしてから、覚悟を決めた。

「満額にします。」勢いよく答えた瞬間、ボードの数字が400万から500万に書き換わった。
まだ日数があるし、支店全体としては、まだノルマ達成には、かなりの数字が残っている。「全然余裕」と自分に言い聞かせたが、頭の中は真っ白だった。

「今日はお祝いに飲みに行こう。」と指導員に言われ、「はっ」と我に返った。その後のことは、ちっとも覚えていない。なんせ100万のカラを抱えたままだ。

翌日からは、地獄の連続。なんせ、もう手の内になにもないところから、数字をつくらなければならない。なりふりかまわず一度断られた客をたずねお願いした。もうこの団塊では、「お願い」するしかなかった。

「大変ですね。」という同情か、「いいかげんにして。」という罵声かのどちらかの反応であった。

それでもなんとか、80万を積み上げて、あと20万というところまで来た。「あと20万か。」なんとかなりそうな気がしてきたが、時間がない。

いよいよ明日が締め切りという時がきても、20万円は埋まらないまま。
posted by wind at 10:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年01月01日

さすらいの銀次郎(15)

残り300万となり、そろそろネタが尽きてきて、国債を買う客にターゲットを絞った。幸い、金利が低下して、単価があがっており売却しても十分利益になる水準だった。

しかし、国債を買う客というのは、基本的に、金利を半期毎(年2回の場合)にもらい、満期に100円(元本)で受け取り、次の国債を買うという人が多かったので、売却益というのは、あまり興味がなく、ましてやそれを投資信託に充当するとういのは、皆無に近い。

といっても背に腹はかえられず、ある中期国債を定期的に200万買う動物病院の先生のところへでかけた。

この動物病院は、ちょうど訪問する自分の客の近くに開業している、こぎれいな病院で、その客のところへ行く時は、必ず、名刺だけおいてきていて、十数回目の名刺を置いたところで、本人がでてきて、国債を買うからといって取引が始まった客である。

こちらが、定期的に新発の国債を案内すると、必ず200万を購入してくれた。今回は先ほども述べたように、なんとか売却して、乗り換える作戦に徹した。

熱心に力をこめて説明したので、効果があったかどうかは分からないが、最後まで話を聞いた後、「あす200万用意しとくから、証書もってきて。」との返事。

ラッキー!!

思わず心の中で叫び、どせなら、100万国債売って300万でお願いと、言いそうになったが、ぐっ飲み込んだ。「せっかくの200万。売却と何とかいらないことを言ってキャンセルされたらこまる。」

意気揚々と支店に引き上げると、また、悪夢が待っていた。
posted by wind at 19:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2006年12月31日

さすらいの銀次郎(14)

さあ、レースも終盤戦を迎えた。先輩たちは、次々とノルマを達成していく。支店のホワイトボードに書かれたノルマの数字の横の実数に見事同じ数字が記入されていく。だが、誰一人として、ノルマを上回る数字を記入する人間はいなかった。

その時は、よく分からなかったが、実は、皆自分の数字ができていなくても、出来上がったこととして、その中身をそれ以降で埋めていくのである。通常、それを「からを振る。」と呼んでいた。

からを振った以上、その穴はなんとしても埋めなければならず、万が一、埋まらなかった場合は、「お漏らしをした。」(実はもっと直接的な言葉なのだが、意味合いは同じなので、これにかえる。

さて、話を戻して、「からを振る」といっても闇雲に触れるものではなく、頭の中では、パズルは組みあがった状態で、「からを振る。」ので、ほぼ皆が達成してくる。新人にそのような余裕はなく、ひたすら実数を積み上げていくほかはない。
posted by wind at 18:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2006年12月30日

さすらいの銀次郎(13)

次に、元本保証の商品の客へのアプローチ。


アル意味、この客たちは、「元本割れの危険性」という言葉に超敏感だ。当時は、中期国債ファンドが主流。

これも、宣伝的には、元本保証に限りなくという表現で、行っていたが、実際は、元本保証のない「変動商品」だ。
(その後、中期国債ファンドで元本割れが起こった事実が物語っている。)

中期国債ファンドの客に変動商品を買わせるのは、とにかく、これだけは食べたくないという人に、無理やり口をあけて、たべさせるようなもの。

本当に、売る商品が、元本保証かのように錯覚させるような言葉で、ちまちまと乗り換えていった。(合計200万)

やっと、4割を達成したが、この間に費やした労力は、金額に見合わない。

他の先輩たちは、着々と数字を伸ばしていった。一方、相方の申告数字は、締め切り半ばで、依然「0」のまま。

一度、煮え湯を飲まされているので、信用などこれっぽっちもしていない。

聞くと、「全然だめ。達成できる可能性はゼロ。」と平気な顔をして、答えてくれた。
posted by wind at 16:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2006年12月28日

さすらいの銀次郎(12)

【ノルマ】
証券会社には、当時ものすごいノルマが課せられた。

「当初2年間は、ノルマはないので、できるだけ新規の客を作って3年目からのノルマをこなせるようにしてくれ。」っと、確か来たばっかりの時にいっていたよなあーー。

ノルマについては、数々のエピソードがあるため、ネタはつきない。

ただ、話としては、新規開拓営業開始から、初めての客ができた時点にさかのぼる。

1人目の客からは、2人とも順調に顧客を増やして言った。当時、中堅企業以外にも、医者開拓も併せて推奨していたので、その両者が相乗効果を及ぼすがごとく、車の両輪として、回り始めた。加えて、お互いのライバル心というガソリンが注ぎ込まれたため、一気にスポーツカー並みに速度を上げていった。

そこそこ客ができてきて、冬のボナーナス資金の獲得が始まった。

「君たちにも貯蓄のノルマを与える。」と平然と、支店長の声。「えっ!!2年間はノルマはないといっていたじゃないか。」という言葉をぐっと飲み込んで、無言でいると、「ノルマって行ってもこんな金額ノルマじゃないぞ。」と追い討ちの言葉。

確か金額は、400万か500万だったと思うが、それまで、基本的には、株中心で顧客開拓していたので、貯蓄するような客はほとんどいない。

ましてや、切った貼ったの世界の好きな人に、何年間も資金寝かせるのが好きな人がいるわけがない。

とりあえず、株をやっている人に、貯蓄をお願いする。いえお願いではなく、「この商品は、変動ものでは、非常に高い利回りが期待できますよ。当社の一押し。云々。」

客の反応。「そう。いい商品のようだけど、やっぱり株のほうがいい。」

なるほど。予想された答え。ここで引き下がれない。「リスク分散として、株の資金を一部これに預けておけば、2年後にかなりふ増えてまた、株の投資ができますよ。私も、今まで貯蓄は勧めなかったと思いますが、この商品は別です。云々。」

まあ、あとは粘るのみ。仲のよい客は、付き合いで、小額は付き合ってくれた。合計100万程度。
posted by wind at 22:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2006年12月26日

さすらいの銀次郎(11)

【窮地】
心を入れ替えて新規開拓を行い始めたとたん、全身を打ちのめされる事件が起こった。いつものように支店に帰ると、「金次郎が新規で客をとってきたぞ。」という声が聞こえ、その場で立ち尽くしたまま、金縛りにあったがごとく、身動きがとれなくなった。

「なぜ、どうして。」その言葉が頭から離れなくなり、明らかに挙動不審となった。はるかかなたのほうで、「やっと客ができたか、おめでとう」という言葉が聞こえていた

が、ぼーっとしたまま自分の席についた。「もう1人は客できたか。」これも遥かかなたで聞こえた気がしたが、「いえ、まだです。」と消え入りそうな声で返事をした。

とにかくこれで崖っぷちに立たされたことは間違いなかった。後日、金次郎にどうやって客をつくったのかをっ聞いたとき、「それほど回っていなかったけど、あたりのいいところは、何度も行っていた。」という平然とした答え。

こいつとは、もう表面上以外は絶対に付き合わない。と心に誓った。

どういう形にしろ、早く客を作らないと、居る場所がない。といった切実な思いと裏腹に、蒔いてない種から芽が出ることはなく、また数日が過ぎた。

よっぽど哀れに見えたのだろう。ある日、「ここに行ってみれば。」と先輩女性が、ある住所を書いた紙を渡してくれた。「溺れるものは藁をも掴む。」とはこのことだろう。とにかくすっとんで行った。

それは、貯蓄10万の新規客であった。

たかが10万、されど10万といった感じで、金額より「新規の客」という響きだけを、支店に送り込むことを目的にした。

急いで、支店に帰り、報告するが、「やっとか。」という冷たい返事。まあ、10万ぽっきりでは、男性営業マンに費やした研修費用の足しにもならないであろうことは容易に理解できた。

やっとスタート台について、第二幕が始まる。
posted by wind at 20:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2006年12月25日

さすらいの銀次郎(10)

3日目以降は指導員の目もうまく欺き、表向き一生懸命の新規開拓を行っているふりをし続けた。
しかし、この営業(新規開拓)は、種を蒔かなければ絶対に芽はでない。

この当たり前のことが、種を蒔いていない銀次郎たちには、痛切に跳ね返ってきた。「1が月も開拓すれば、少なくとも1件は客にならないとおかしい。」と指導員は、ぶつぶついいながら、お説教された。

「でもこんなに毎日一生懸命やっています。と架空の訪問リストを手に切々と訴える毎日であった。
でも、さすがに、同じ支店で、2人とも客が作れない。といううわさは、どんどん広がっていった。

指導員も9月までに客ができなければ、「その時は、・・・」とはっきりと口にしない。ちょうどその頃、1年先輩の1名が異動となった。1年先輩のときも散々不作といわれたらしいが、今年は、そんなも生易しいものではなく、芽もでない「腐った種」との極悪レスラーのごとく扱われた。

さすがに、気候も良くなってきて、全国に「新人で客のいない支店」の名が轟くようになるとともに、1年先輩の異動により、銀次郎たちはいよいよ尻に火がついた。

しかし、蒔いていない種から芽が出るはずもなく、その日から、開拓に本腰を入れ始めてが、結果がでるのが早くて1ヶ月先。「やばい。このまま1ヶ月乗り切れるか?」この言葉が、何度も何度も頭をよぎり、あせった。

金次郎も暫く客はできないだろうということが心の支えとなって毎日を過ごした。
posted by wind at 22:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2006年12月24日

さすらいの銀次郎(9)

【営業本番】
 個人宅訪問は、営業の本当の目的ではなかった。確か研修中も、「中堅企業開拓」ということが再三言われていたことを思い出した。
3日目からは、午前中電話・午後から新規開拓営業というパターンになった。何がかわったかというと、電話帳のコピーではなく、中堅企業オーナーリストのようなものであったと思う。名簿は変わってもやることはなんら2日目とかわっていない。

2日目に、トラップをかけられたので、さすがに3日目以降は、2人一緒には回れないため、単独行動を取ったが、所詮2日目にして飛び込み訪問をばっくれる人間性から、またもや悪巧みを考えていた。


勝率98.52%!超カンタン株式投資戦略!【冊子版】


その時の、言い訳が、「どうせすぐには客はできっこないから、暫く遊んでいても大丈夫、大丈夫。」というものだった。また、当時は、外務員資格(一種とか二種の区別はなかった。)を持っていないと証券営業はできなかったため、5月末の試験に通って本格的にやればよいという感じだった。この試験というのも、凡そ普通に勉強すれば、確実に通るものという認識はあったが、万が一落ちれば、そこで、無資格となるので、結構、表面上は、「あまり勉強していない」風を装いながら、実は「がっつり」勉強していた。

午前中、電話開拓で、午後訪問開拓はその後2ヶ月近く、続いたが、その間、1週間に数回は、独身寮(寮母等なし)に帰って(決まって相棒とは顔を合わせたが、)を、午後は昼寝して、支店に帰っていた。そのような日々が淡々と過ぎていって、5月末から6月はじめになると、他の支店の同期が、少しづつ客を獲得していった。
posted by wind at 08:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2006年12月23日

さすらいの銀次郎(8)

犯人2人と刑事との取調べ。このような状況を想定していなかったので、犯人2人は、打ち合わせもなく、その場で、何とかつじつまを合わせようとしたが、しょせん、焼け石に水。
「今日何軒くらい訪問した?」
(すばやく頭を回転させ、「普通にインターホン押すだけなら、1件で長くても2分、1時間に30件、移動時間を含め、実質3時間で90件、待て待て、中には少し話を聞いてくてたところも織り交ぜて、70件程度か」)
「70件程度です。」
「ほっー。結構回ったな。少しは話を聞いてくれたところはあったか。」
(これにはどのように対応しよう。へたなことを言うと、どこの家だとか、名前はとか・・、刑事の追及は更に厳しくなるに違いない。でもどう答えるにしても、自分は後ずさりして、崖に向かっているようにしか思えなかった。)
「いえ、場所も名前も覚えていませんが、新人さんたいへんね。」と声をかけてくれたところが2・3軒ありました。」
(よっしゃー。無難な答え。)
「では、1丁目のここから始めて、このあたりまではいったのか。」と地図を指差すデカの追求は更に厳しくなった。
「ええ、まあ。」
「そうか。ああ、ここここ、指差したところの半分ぐらいのところ、数で言うと20件ぐらいのところを指して、この家、私の顧客なんだが・・・。」
(地雷を踏むとともに、木っ端微塵に吹き飛ぶ自分がいた。)

刑事は、勝ち誇ったようにこういった。
「もう白状しろよ。」

ついに犯人は、自白するしかなかった。

汚いことしやがって。今回は、訪問する場所を2人別々に指示された時点で、疑うべきであった。実際、自分の顧客を入れておいて、張り込むとはえげつない。こんなことまでして、試されているのか?

その日は、こっぴどく説教を食らった。でも、初日から、サボるのは、今までにいなかった。と言われた時の、指導員の目は。「前途多難」と目の中にはっきりと書いてあったのを今も鮮明に思い出す。

どうもこの「インターホン」作戦は、代々新人に行われてきた儀式であったらしい。1年先輩は、そのことについて事前に何も教えてくれなかった。当然だ。彼らも教えてもらっていないのだろうから。目には目を。銀次郎は、心に誓った。
posted by wind at 16:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2006年12月21日

さすらいの銀次郎(7)

午後は、たっぷり時間がある。帰社予定は。5時だった。

2人は、別々の地域を担当するよう支持されていたが、お互いの地域を半分ずつの時間、訪問することに勝手にした。
なにせ、見ず知らずの個人のインターホンを押して、「はいわかりました。顧客になりましょう。」なんて、奇特な人は、少なくとも、ここ大阪には、いそうになかった。

しょうがないので、2人で交互に両隣の家のインターホンを押すことにした。お互い、「せーのっ」と気合を入れて、インターホンを押すが、相手にされるわけもない。何軒かインターホンを押し続けたが、出てくれた人の反応は皆同じ。寧ろ、「留守」だと、ほっとした。「ばかばかしい。やめようぜ。」意気投合するのも早かった。

一応、お茶にごし程度に、担当2区域の家のインターホンを鳴らして、喫茶店で時間を潰すことにした。「なんで、こんなことしなければいけないのか?」頭の中で、この言葉がぐるぐる渦巻く。

時計を見ると5時近くになっていた。そろそろ支店に帰る準備を始めた。一緒に帰ると、「ばればれ」なので、ここはバレーボールの日本のお家芸、「時間差攻撃」を使って、帰社した。

約10分程度遅れて帰ると、金次郎は席にいない。帰るやいなや、課長にこう言われた。「青の部屋に、指導員と金次郎が入っているから、お前も入れ。」とたんに、背中を冷たい汗が流れるのを感じた。

部屋に入ると、刑事と犯人の取調室よろしく、金次郎はもう自白寸前の状態であった。ただ、銀次郎が入ったことで、追求が分散されると思ったのか、はたまた、一蓮托生と思ったのか。金次郎は、少しほっとした表情を見せたように思えた。
posted by wind at 21:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。